今回のテーマは、国家が通貨発行する理由(裏)、ということで、通貨発行をちょっと違う角度から見ていきます。「裏に潜む不正や欲望」というような、ややうがった見解ですが、一つの観点として捉えていただければと思います。
さて現代において、国家が通貨を発行し、それを経済に流通させることは、日本円であれ米ドルであれ、世界中で当然の前提となっています。国家は税収に加えて、実質的に無から作り出した通貨を利用し、社会保障、地方支援、公共事業、防衛、教育、その他行政サービスなどに予算を割り当て、財政を運営しています。これは、国家運営のための必要な財政支出であり、国民の生活を支えるためのものです。
しかしながら、そういった善なる出費も、実際には常に清廉潔白とは限りません。
歴史を紐解けば、こうした国家の財政支出がしばしば支配者の権力強化、汚職や不正、利権の温床となってきたことは明らかです。古代ローマの軍事拡張のための通貨希釈、近世フランス王政の財政の私物化、日本でも、高度成長期時代の積極財政×無駄な公共事業×利権が結びついた事例など、古今東西、お金と権力にまつわる話には、枚挙にいとまがありません。
お金のまわりに、権力、不正、利権、というものが絡みつくのは、どうやら人類に普遍的な出来事のようです。時の権力者は、財政支出を決められる立場にあり、そこに無から通貨を発行できる力が加わると、その権力は絶大です。その誘惑に抵抗するのは難しく、形を変えながら、歴史の中で何度も繰り返されています。
ただ、お金と権力、不正といったことを裏返して考えると、権力者側だけではなく、国民の側にも、そういったことを望み、歓迎し、時には強く求めるという構造が存在しています。
例えば仕事を失ったとき、例えば食費が高くて苦しい時、人々はどこかからお金が降ってこないか、と願います。通貨発行とは、まさにそれを実現する魔法のような存在です。給付金や補助金という形でお金が国民に配られれば、私たちは喜びます。
このような心理はしばしば「くれくれマインド」として揶揄されることがありますが、現実に直面すれば、助けを求めるのは当然のことでもあります。家計が苦しい、医療費が払えない、といった切迫した状況において、国家が何とかしてくれる、という希望を抱くのは、むしろ自然な反応と言えるでしょう。
短期的な経済対策も同様です。特定の業界が不況に陥ったとき、公共事業や補助金による救済策が打ち出されれば、それは善政として歓迎されます。たとえば、過疎化の進む村に新たにバスの路線が敷かれれば、地域住民にとって大きな生活基盤の支えとなります。その効果はわかりやすく、庶民の味方として高く評価されるかもしれません。
ただ、こうした支出が繰り返されることで、人々の間に、「国の予算は尽きることがない」「困ったときには国が助けてくれる」という幻想が生み出されるかもしれません。
しかし、落ち着いて考えてみれば、仮にお金は無から発生させたとしても、それによって買われる物や、労働力は、当然ながら有限です。いくらお金を刷ったところで、人がいなければ、橋はかけられないのです。実際には、限られた資源、労働力をどう配分するかという選択が必須であり、一方に予算が割かれれば、他方には回らなくなるのが道理です。
それでも「他の無駄を削れば自分たちにはもっとお金が回るはずだ」という発想は根強く、政治家への要求という形を取っていきます。「なぜこの分野にこれだけ使っておいて、我々には補助が出ないのか」といった不満は、結果的にさらに多くの財政支出を求める圧力として蓄積していきます。
このような国民の声に応じる形で、政治家は支出拡大を掲げ、有権者の支持を集めます。こうして、「もっと補助金を」「もっと給付金を」「もっと公共事業を」という声が強まるほど、それに応える政治が繰り返され、結果として「バラマキ政治」が常態化していくのです。
しかし、そういった場当たり的な財政支出が続くと、その果てに現れるのは、社会の歪みや非効率、生産性の低下です。たとえば、無駄な公共事業や、過剰な医療福祉制度、淘汰されるべきゾンビ企業の延命、中抜きにつぐ中抜き構造、利権と結びついた偏向報道、助成金分配を通じた教育や研究の政治的誘導、などといった事態は、日本のあちこちで起こっているのではないでしょうか。
もちろんこれらの多くは、人々のため、業界のため、地域のため、など、ちゃんとした大義があり、実際に救われる人もいるため、一概に断罪できることではないでしょう。というより、だからこそ、いつまでも解決しない問題なのでしょう。
しかしそういった積み重ねは、長期的には、返す見込みのない膨大な財政赤字、少しの金融ショックでも揺らぎかねない脆弱性、打つ手がなくなった金融政策、あらがうことができないインフレ、スタグフレーション、など、今まさに、日本で起きているようなことに、つながっていくわけです。
以上のように、政治家や国民には、財政支出を拡大し、その魔法の源となる通貨発行を大量に行うインセンティブがあります。しかし、そのような節度のない出費を行い続けることで、破綻した国も少なくありません。そういった歴史の教訓から、先進国では「中央銀行の独立性」という仕組みが作られました。
中央銀行とは、通貨を発行する公的な機関で、日本では日本銀行、アメリカではFRBがこれにあたります。その使命は「通貨の価値を守ること」、つまり物価を安定させることです。
そして、中央銀行の独立性とは、政府が直接手を出せないように、金融政策を中央銀行が独立して決定する仕組みのことです。つまり、もし政府が過剰にお金を発行したいと要求しても、中央銀行は「通貨の価値を守る」という目的のもと、それを拒否することができるわけです。これが、中央銀行が「物価の番人」と呼ばれる理由です。
ところが、経済が低迷している時や、政府の赤字が続いているとき、中央銀行の独立性は往々にして失われがちです。その例として、近年の日本銀行による、大量国債購入が挙げられています。この辺は、様々な議論が錯綜しているところなのですが、要するに、政府の資金調達を、中央銀行が下支えしているような状態です。形式的には、市中銀行を通じた買い入れ等といった手順で中央銀行の独立性を保ってはいるのですが、実質的に見ると、政府と財政の穴を、中央銀行が埋めている状態と指摘されます。
上述のように、本来、中央銀行の最も重要な役割は「通貨の価値を守ること」ですが、このような形で政府の支援を続けると、中央銀行は「物価の番人」どころか「政府のスポンサー」になってしまいます。そして、中央銀行の独立性が失われると、通貨の無節操な発行につながり、通貨の価値が失われ、最終的には非常に高いインフレを引き起こす恐れがあるのです。
これまで、「インフレに行き着く」「インフレが起きてしまう」といった否定的な文脈でインフレについて述べてきました。ただし、ここで言うインフレとは、急激で制御不能なインフレや、景気後退と物価上昇が同時に起こるスタグフレーションなど、いわゆる「悪性のインフレ」のことです。
一方で、適度なインフレは、(一般的な経済学では)むしろ経済にとって望ましいものとされています。たとえば、物価が少しずつ上がり、それに伴って企業の売上や利益が増え、結果的に賃金も上昇していくような状況は「良性のインフレ」と呼ばれます。
実際、各国の政府が行う財政政策や中央銀行による金融政策の大きな目的の一つは、このような良性のインフレと経済成長を起こすことです。 つまり「悪性のインフレ」を避けつつ、「良性のインフレ」を起こそうというのが、現在の多くの国家のあり方です。
しかし、こうした「良性のインフレ」という考えもまた、本当に妥当なものなのか、という疑問があります。「良性のインフレ」という発想は、政府にとって、非常に都合が良い発想でもあるのです。なぜなら、政府には、上のような経済の好循環とは別の理由で、インフレを好み、インフレを起こす方向に誘導したいというインセンティブがあるからです。
この理由を説明する言葉として皆さんは、「インフレ税」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?これは、私たちが支払う所得税や相続税のように、明示的に徴収される税金ではありません。しかし、インフレによって私たちの資産の実質的な価値が減っていく、という意味では、隠れた税金として機能します。
改めて、インフレとは通貨の価値が下がることですが、ではインフレは国家の債務にどのような影響を与えるのでしょうか。実はインフレが進むと、過去に発行された国債(借金)の実質価値や、利払いの実質負担が相対的に縮小し、政府にとっての返済負担が軽くなります。要するに、国民の預貯金は実質的に目減りする一方、国家の借金返済は逆に、実質的に楽になるのです。
たとえば、政府が 1000兆円の借金を抱えていても、インフレによってお金の価値が半分になれば、その 1000兆円を返す実質的な重さは、 500 兆円相当まで軽くなります。毎年 10兆円の利払いをしていても、実質的には5兆円相当の負担で済みます。つまり、インフレには政府の債務を薄める効果があるのです。
(※金利が上がりすぎず、インフレ率の方が高い=実質金利がゼロ以下なら、債務の実質価値は目減りする)
日本の場合、政府の国債(借金)の多くは銀行・保険会社・年金基金などが保有しており、その裏側には国民の預金・保険料・年金積立金などがあります。そのため、インフレによって国債の実質価値が下がるということは、銀行などを通しつつ、国民が持つ資産の実質価値が削られるということでもあります。
このように、インフレという形で、税金と同様に国民から政府へ富の移転が起きるため、インフレ税と呼ばれるのです。
歴史を振り返ると、国家の債務が膨らんだとき、政府が意図的に低金利を維持しつつ、インフレ誘導して返済負担を減らす、という手法はたびたび使われてきました。このような政策は「金融抑圧」と呼ばれます。 そして、この金融抑圧政策の特徴として、目立たない形で少しずつ進行させていくという点があげられます。
こうした政策は「経済成長の促進」や「国民生活の安定」といった名目で説明され、わざわざ「金融抑圧をします」と公表することはありません。こうして、反発を避けながら、政府は債務を着実に減らそうします。
これは珍しいことではなく、もしかしたら、未来から振り返ってみれば、今がその状況なのかもしれません。 そのようにして、失業率があがりすぎず、国民が暴動などを起こさず、何とかやり過ごせる程度のインフレに誘導し、少しずつ負担を国民側へ移転させ続けることで、破滅的なショックを回避しつつ、長期的に緩やかに国家の借金を目減りさせ、財政を健全化させることができるわけです。
そして、そのようなインフレを起こす方法はなんでしょうか? それは、「さらに通貨を発行し通貨を希釈させること」という方法です。つまり皮肉な事に、無節操な通貨発行による政府負担を帳消しにする方法は、往々にしてさらなる通貨発行となるのです。
以上、国家が通貨を発行する理由(裏)というテーマでお話してきました。うがった見方にはなりますが、こうしてみると、国家の通貨発行というのは、政治家も国民も一緒になって、破滅が来るとわかっているのにやめられない、麻薬を続けているような印象を受けます。
もちろん、通貨発行がすぐにそういった問題につながるわけではありません。ただ、上のような構造、人類の性質を考えると、国家が通貨発行という麻薬を、うまくコントロールすることは、とても難しいことのように思えます。
これまでもお伝えしてきたように、ビットコインは、そういった止まらない過剰な通貨発行へのアンチテーゼです。もしも仮に、政治家や我々国民が、過剰な社会制度や戦争などをやめ、無駄な出費を自制し、財政の信用が保たれる範囲での通貨発行を維持できるなら、ビットコインは必要とされなくなるかもしれません。
しかし、みなさんは、そのような事が、本当に私たち人類にできると思いますか?正直、私には自信がありません。
皮肉な言い方になりますが、ビットコインを選ぶということは、人々がそういった麻薬的な通貨発行をやめることはできないだろう、と考える事でもあるわけです。言い換えると、ビットコインは、そういった人類の愚かさへのヘッジ、という言い方もできるのです。