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コラム 11 ビットコインくん

11ビットコインの現在地 現状と夢物語の始まり

前回のクイズでは、ビットコインが『デジタルゴールド』として広く認識されてきていることについてお話ししました。ただし、それは主に『資産』としての『デジタルゴールド』であり、【貨幣】として、つまりサウンドマネーとしての【デジタルゴールド】ではない、とお伝えしました。そこで今回は、ビットコインの現在地について整理してみたいと思います。

「資産」としてのビットコインは急拡大

いままでずっとお伝えしてきたように、世界中で法定通貨の大量発行が繰り返され、株式や不動産などの資産インフレや、日常品などの物価インフレを招いています。さらにアメリカの国力低下や「ドルの武器化」を背景に、各国では「ドル離れ」が徐々に進行し、資金が、ゴールドなどのハードアセットへ回帰する流れが起きています。

その流れの中で、ビットコインは「資産」としての地位を急速に確立しています。リーマンショックやコロナ後の通貨乱発を受けて急拡大し、いまや世界中の投資家たちに取引される資産へと成長しました。希少性と無国籍性を備えたビットコインは「デジタルゴールド」とも呼ばれ、インフレやドル離れのヘッジ資産として存在感を高めています。

本当にゴールドのような安全資産なのかどうか、というのはまだまだ意見が分かれますが、既存金融の投資家や大企業が次々と参入し、また国家レベルでも資産として取り入れられるほどの、世界的に「保有に値する資産」として、ビットコインが認められつつあるのは、確かな現実といって良いでしょう。

「貨幣」としてのビットコインはまだまだ

さて、ここからが問題です。『資産』としての地位は確立してきているとして、【貨幣】としての地位はどうかというと、残念ながら、ほとんど導入は進んでいないといって良いでしょう。これは、技術的な処理能力の問題もあるのですが、ここでは政治的・経済的な観点から見ていきます。今までお伝えしてきたような「貨幣発行自由化」やビットコインを中心とした「サウンドマネー社会」といった未来像は、現実にはほとんど進展していません。一部、通貨として採用している事例もありますが、世界的に見れば例外的ですし、必ずしも十分に機能しているとはいえないようです。

また、ビットコインが普及した際の社会がどうなるか、ということについて、前回色々、想像してみました。しかし、それらもまた、当然ながら実証された話でもなく、理論として世界中で認められているような話でもありません。率直に言って、国家と貨幣を分離し、完全な自由市場を構築するという話は、残念ながら、未成熟の夢物語といっていい状況でしょう。

経済学と国家の介入の歴史

ここで少し視点を変えて、歴史と経済学の潮流という観点から、ビットコインの現状についてお伝えしたいと思います。そのために、19世紀から21世紀にかけての経済学の潮流を、国家の介入度合いという観点から振り返ってみたいと思います。同時にその流れの中で、代表的な経済学者を取り上げて説明します。

アダム・スミスと古典的自由主義(レッセ・フェール)

まず一人目は、近代経済学の父と呼ばれるアダム・スミスです。彼は、市場には「見えざる手」が働き、人々が自由に取引することで、社会全体が自然と調整されていくと考えました。そこには、国家が過度に介入しなくても、市場は自律的に秩序を保つことができる、という自由市場の発想が流れています。

アダム・スミスは18世紀の思想家ですが、彼の思想を受け継いだ19世紀のイギリス経済は、産業革命の進展を背景に大きく発展しました。技術革新と資本蓄積によって産業が成長し、それを後押しするように自由市場の仕組みや自由貿易政策が広がっていったのです。この時期はまた、金本位制の黄金時代でもあり、通貨の安定が国際貿易を支えました。

自由市場への批判

しかし、20世紀に入ると、その繁栄は陰りをみせます。第一次世界大戦の戦費調達のために各国は大規模な財政支出や紙幣発行に踏み切り、金本位制は大きく揺らぎました。さらに1929年の世界恐慌によって経済は深刻な打撃を受け、自由市場への信頼は大きく損なわれていきます。

この時代に広がったのは、「自由市場だけでは社会や経済を安定させられないのではないか」という論調でした。経済学的には、公共財や外部性、独占といった問題は、市場の自律性だけでは解決できないと指摘され、後に「市場の失敗」と呼ばれる考え方が形成されていきました。さらに、不況が長引く中で、それに対して政府が何も手を打たず市場に任せ続けることは、不況のさらなる長期化や景気後退の固定化を招きかねないという主張も強まっていったのです。

自由市場の否定から始まるその後の経済学

ここが出発点です。19世紀の自由市場重視の思想が否定されたところから、その後の経済学が進みます。

マルクスと社会主義・共産主義、計画経済への道

こうした「市場への懐疑」が高まる時代に影響を及ぼした代表的な思想家・経済学者が、二人目のカール・マルクスです。マルクスは、資本主義を鋭く批判し、労働者階級の搾取や格差の拡大を避けられない構造的問題として捉えました。その処方箋として彼が提唱したのが、市場のメカニズムに委ねるのではなく、国家が大きく介入し、生産手段を社会全体で共有すべきだとする社会主義や共産主義でした。

実際に20世紀に入ると、ソ連や中国をはじめとする国々がマルクスの思想を基盤に計画経済体制を築き、自由市場そのものを否定する動きが世界規模で広がっていきました。

以前もお伝えしたように、社会主義や計画経済は、壮大な社会実験の失敗という形で歴史に刻まれていきますが、それが明らかになるのは、20世紀中ごろから後半にかけての話です。

ジョン・メイナード・ケインズと大きな政府

20世紀前半、アメリカやヨーロッパなどの西側諸国でも、社会主義ほどではないにしろ、市場に対し、どのように国家が介入するか、ということが経済学の主流となりました。その代表的な経済学者として登場するのが、三人目、ジョン・メイナード・ケインズです。1929年の世界恐慌による失業者の大量発生に対し、ケインズは、政府が積極的に財政支出を行い、需要を創出することで景気を下支えすべきだと主張しました。アメリカのニューディール政策をはじめ、各国が公共事業や社会保障の拡充を進めた流れは、ケインズ経済学によって理論的に裏付けられ、その思想的影響のもとで世界的に広がっていきました。

こうして市場に対して国家が積極的に介入する「大きな政府」という経済思想が主流となりました。国家の介入は経済運営に不可欠なものとして受け入れられていきました。積極的な国家介入を促すケインズ経済学は、その後の批判や修正を経ながらも発展し、現在もマクロ経済政策の重要な柱であり続けています。

ミルトン・フリードマンと小さな政府

時代は進み、4人目としてご紹介するのが、ミルトン・フリードマンです。1970年代に入ると、ケインズ理論では説明のつかない「スタグフレーション」(景気停滞とインフレが同時に進行する現象)が世界を襲いました。詳細は省きますが、物価上昇と高失業率が並存するという状況は、ケインズ的政策の限界を浮き彫りにしたのです。そこでフリードマンを中心とするシカゴ学派の経済学者たちは、通貨供給量を安定的に管理することを重視する「マネタリズム」を提唱し、政府の過剰な財政政策による介入を批判しました。彼らは、政府の裁量的な介入がインフレや経済の不安定化を招く可能性を指摘し、政策ルールの重要性を強調しました。この議論は、結果として政府の役割を限定的に捉える、いわゆる「小さな政府」的な発想と親和的でありました。

いわゆる「新自由主義」の時代について

ここで、「新自由主義」と呼ばれる時代について、少しお伝えしておきましょう。一般にこの言葉が使われるのは、1980年代以降の先進国経済を指している場合がほとんどです。この時期、市場重視や規制緩和、民営化、グローバル化といった政策が進められ、戦後に主流であったケインズ的な大規模財政介入は相対的に後退しました。そのため、「自由」という名のもとに、市場原理が全面的に肯定された時代であったかのように語られることがあります。しかし、歴史的に見ると、この理解には誤解があります。

確かにこの時代には、上のミルトン・フリードマンのような自由思想をもつ経済学者の議論が参照されることが多くありました。しかし、それは一貫した思想がそのまま政策として実行されたというよりも、財政赤字の拡大や国家運営コストの増大といった現実的な制約の中で、利用しやすい論拠として取り入れられた側面が強いようです。

また、この時代を「市場の自由が拡大した時代」と単純に捉えることにも注意が必要です。確かに、規制緩和、民営化、グローバル化といった政策は進められましたが、実際には、金融政策の分野では中央銀行の役割はむしろ拡大し、金融緩和や信用供給は積極的に行われました。その結果が、金融部門の肥大化や過剰なリスクテイクとなり、最終的には、下記に述べる、リーマンショックのような危機へとつながっていくのです。こうした点を踏まえると、「新自由主義」と呼ばれる時代は、自由市場が純粋に実現された時代では全くなかったといえます。

2008年世界金融危機以降の転換と現在

さて、時代はさらに進みます。新自由主義と呼ばれる時代は、おおむね21世紀初頭まで続きました。しかし、2008年の世界金融危機は、それまで続いてきた市場重視・規制緩和、グローバル化といった路線に大きな転換点をもたらしました。リーマン・ショックに端を発する金融システムの崩壊、歴史的な債務危機は、「市場に任せておけばよい」という方向性を根底から揺さぶり、各国は大規模な財政出動や金融緩和によって危機対応を迫られました。

上述のように「新自由主義における市場」というのは、自由市場が純粋に実現された状態では全くないのですが、評価として、経済危機の破滅的なダメージは、市場を自由に任せすぎたことによるものだという、論説が強く主張されたのです。

その後、世界経済は再び「大きな政府」的な方向性を強めつつあるようです。パンデミックや地政学的対立も影響し、グローバル化は逆流し始め、サプライチェーンの分断や経済圏のブロック化が進んでいます。こうした動きは、国家の介入が再び強まり、以前に比べて「大きな政府」的な方向へと振れていることを示しています。

20-21世紀の経済 国家介入の大小の振り子

以上、経済の歴史を振り返ると、20世紀から21世紀にかけての経済学は、「国家の介入の大小」が振り子のように揺れ動いてきたと言えるでしょう。

改めて、現在のアメリカを中心とした経済を大まかに整理すると、次のように捉えることができます。

非常に荒い捉え方ですが、ざっくりといえば現代の政治・経済は、このような視点でとらえることができるのではないでしょうか。

オーストリア学派の理論 ミーゼスとハイエク

では、これまで触れてきた「サウンドマネー」や「貨幣発行自由化」といった思想はどう位置づけられるのでしょうか。これは、オーストリア学派と呼ばれる経済学の系譜に属する考え方です。

(あくまで「系譜」であって、オーストリア学派の理論=ビットコインが広まる社会、では全くないのですが、親和性はあり、参考になります)

オーストリア学派の思想は、ミルトン・フリードマンらよりも、さらに徹底して国家の介入を排し、市場の自由を最大限に尊重しようとする立場を取ります。

その代表的な論者としてまず、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスを挙げましょう。オーストリア学派自体は、19世紀後半に誕生したものですが、ミーゼスは、第二次世界大戦後に、マルクス主義に基づく社会主義や計画経済に対する批判を展開しました。また経済学の方法論として、人間の行為を出発点とする人間行為学(プラクセオロジー)という演繹的な分析手法を提唱しました。この系譜はマレー・ロスバードらに継承され、サウンドマネーや国家による市場介入への批判として、より徹底した形で展開されています。

続いてもう一人、フリードリヒ・ハイエクの名も挙げましょう。国家介入については、上のロスバートなどと比べると、法の支配の下での限定政府など、ある程度の介入を許容する立場ですが、彼もまた、オーストリア学派の代表的な人物の一人です。ハイエクは、市場における経済知識の分析や、ケインズ理論への批判者としても知られ、また、貨幣発行自由化論を提唱し、国家による貨幣発行独占に代わる競争的な貨幣制度の可能性を提示しました。さらに経済学の枠を超え「隷従への道」 や「自由の条件」といった著作を通して、生涯、自由な社会の重要性を説きました。

オーストリア学派の位置づけ

ただ、今まで見てきたように、20世紀から21世紀の経済学の歴史は、国家がいかに経済に介入していくかということが中心の命題でした。自由市場、サウンドマネーなどといった、国家の介入自体を排する方向性のオーストリア学派の理論は、部分的な影響は及ぼしつつも、20世紀から21世紀の経済政策の中では全く実現されていません。むしろアダム・スミス由来の19世紀の古典的自由主義時代に謳われた、レッセフェール(自由に任せよ)と言われた理念に最も親和性のある理論でしょう。

言い換えると、20世紀初頭に言われた、

という前提を再反論する理論ともいえます。20世紀以降の経済の中心である、政府による財政政策も、中央銀行による金融政策も極力撤廃し、自由市場の原理を中心に据え直すことが妥当であり、要するに、国家の介入を極力やめるという理論です。オーストリア学派の考えが、いかに現状からの、根本的、本質的変化を主張する理論か、お判りいただけましたでしょうか※。

※やや強めの印象の文章になっているため、誤解なきよう、注釈をつけておきますが、オーストリア学派は、あくまで経済現象を研究、分析する経済学(および倫理学)です。過激な反国家思想・運動という色合いのものではありません。国家介入すべてを撤廃する無政府資本主義などを主張していても、それは、先の人間行為学といった演繹的な経済分析や、自然権などの哲学的・倫理学的な論証を組み合わせ、論理的帰結として導き出した結果を、学問的に主張しているものです。反国家思想が先だった政治運動ではないことをご留意くださればと思います。

オーストリア学派とビットコイン

さて、オーストリア学派の経済学は、理論的には高く評価される側面もありつつも、以上見てきたように、現在の状況からすると、国家の介入を根本的に取り払うという、非常にラディカルな変革を必要とする理論です。そのため、現在の世界の政治や経済の中ではごく一部の存在にとどまり、いわば「異端」の立場です。(chatGPTに聞いたところ、世界の経済学の中でオーストリア学派の占める割合は、1%未満、だそうな。)

そして、そのオーストリア学派経済学と密接に関連するのが、ビットコインなのでした。市場への国家介入を極力排除し、サウンドマネーを基盤に、より純粋な自由市場を成立させようとする発想は、ビットコインの一つの思想的背景となっています。ゆえに、ビットコインによるサウンドマネー社会という主張もまた、現代の経済や政治の中ではごく少数派であり、率直に言って主流からは相手にされていない、というのが実情でしょう。

ビットコインは生まれたばかり

以上、ビットコインの現状でした。資産としての地位は着々と確立しつつも、世界の経済の中で、サウンドマネーとして金融システムに食い込み、世界を変えていくもの、という視点は、いまだ現実的にも理論的にも夢物語、というのが妥当な評価かと思います。

ただ、これはビットコインを支持する観点からみて、必ずしも悲観すべき状況ではないでしょう。ビットコインは、そもそも誕生からわずか20年弱しか経っていないものなのです。2009年に登場した当初は、一部の技術者や愛好家の間でやり取りされる「ギークのおもちゃ」にすぎませんでした。それが今では、世界中の投資家が買い求め、国家レベルで採用されるほどの資産へと成長しています。はっきり言って、経済と貨幣の長い歴史を考えれば、この短期間に、ここまで来ていること自体が、奇跡的なことなのです。

誕生から15年間ほどは、いわば「ビットコインが果たして生き残れるのかどうか」を試される段階だったといえます。国家と貨幣の分離、などという、極めて物騒な思想を標榜しているにも関わらず、また何度も各国による規制を受けているにも関わらず、ビットコインは力強く成長し続け、現在のところまで到達しました。もちろん異論は残っているものの、少なくとも現時点では「生き残る」というフェーズをクリアした感があります。

そして、ここがようやく序章なのです。国家と貨幣の分離という、真の意味での物語と戦いはこれから始まります。ビットコインという存在が、これからの経済史においてどのような役割を果たしていくのか、その本番は、まさにこれからなのです。

自由市場と国家の介入をめぐる議論

ところで、国家の介入のない、より純粋な自由市場の確立といった主張は、上述のように20世紀初頭に、市場の失敗・不景気の長期化などの問題点が指摘されて、ある意味、一度破棄されているものともいえます。また世界金融危機のような債務危機に対してどのように対応するかという点も、国家による通貨発行を否定するのであれば、答えていく必要がある本質的な問題です。ゆえにビットコインが広がっていく中で、経済理論としても、改めてそういった問題にどう向き合うかということは必要でしょう。

上述のオーストリア学派経済学は、そういったことへの、一つの一貫した優れた応答でもあり、むしろ国家介入が、そういった問題の原因だという逆の見方を提示している理論です。だた先に述べたように、現状の経済、社会からは大きく離れた理論のため、実現していくのは、かなり困難な印象です。

しかし一方の、20世紀から21世紀にかけて、経済学の発展とともに構築され、実行・採用されてきた、国家介入をベースとした現在の経済システムが、極めて不安定であり、不正や歪みを多く抱えており、破滅的な方向に進んでいるというのも、今まで繰り返し指摘した通りです。

経済学は政治に利用されるものだということ

ここで指摘しておきたいことは、経済学は、単なる理論体系として存在しているのではなく、常に「政治」に利用されてきたということです。仮に理論が十分に洗練されていたとしても、それを誠実かつ正確に社会へ適用することは、人間社会の性質上きわめて困難なのです。

国家の介入というものは、人間の欲や愚かさなどと相まって、経済学を都合のいいように解釈し、歪ませるリスクが常にあります。このあたりのことも、あちこちでお話しましたね。

人類の欲と愚かさへのアンチテーゼとしてのビットコイン

そしてビットコインの経済学的問題について考えるうえで、押さえておいていただきたいのは、ビットコインは、そのような、「政治的にどうしても歪んでしまう経済システムへのアンチテーゼ」でもあるということです。

当たり前ですが、ビットコインは政治理論や経済理論ではなく、テクノロジーであり、ネットワークシステムです。非中央集権、耐検閲性、無国籍性、透明性、強制力のある希少性などと特徴を持つシステムです。システムとしてそのような性質があるがゆえに、そのシステムを政治・経済の中に取り込むことで、制度や政治では、どうしても止められない過剰な通貨発行、といったことへの抑制となるのです。

これは言い換えると、人間の欲や愚かさによって、どうしてもゆがんでしまう政治や経済を、テクノロジーによってある程度是正し、自由で公正な社会を実現しようという試みでもあります。つまり、ビットコインは「過剰な通貨発行へのアンチテーゼ」でしたが、それは「政治的にどうしても歪んでしまう経済システムへのアンチテーゼ」でもあり、「人類の欲と愚かさへのアンチテーゼ」と言うこともできるのです。

自由市場と国家の介入をめぐる議論をするうえで、ビットコインのこの特徴は、注目するに値するものなのではないでしょうか。

ビットコインは自由のためのテクノロジー

さて、ビットコインの現状を、歴史を俯瞰しながら見てきました。ビットコインは、資産としての拡大は着実に進みつつも、貨幣としての受け入れは、いまだ夢物語の状況ということをお話ししました。

ただそれは、人類の貨幣の歴史からすれば、異例のスピードであり、ここまで来たこと自体が奇跡的なことであり、ビットコインの未来は、まさにこれから始まるということもお伝えしました。

そして最後には、ビットコインが自由や公正さを高めるテクノロジーであるということも強調させていただきました。

そこで次回のクイズでは、自由や自己主権、さらには自由思想といった、ビットコインの設計思想や文化などについて、お話ししたいと思います。ビットコインの未来を考えるうえで重要、かつ、よりディープな話になっていきます。どうぞお楽しみに!